初めての有楽町線で迷子
2010.02.11 Thursday | by 保坂
2月11日
凍てつくような寒さのなか、昨年暮に亡くなった従兄弟の四十九日の法要に出席した。
有楽町線の氷川台駅から7分のお寺で催された。
先輩である実行会の理事長と西日暮里駅で待ち合わせ、池袋から有楽町線で行くのだが、何しろ有楽町線に乗るのは始めてだったので、理事長とは少し余裕を持って行きましょう、と伝えておいた。
有楽町線の池袋駅で、がらがらの下りの飯能行きが来たのでこれ幸いと飛び乗った。氷川台は池袋駅から4つ目である。1つ手前の小竹向原駅に着いた時に車内放送で奇妙なことを言う。
どうもこの駅で2車線に別れるような言い方で、隣のホームには何々が参りますと言う。車内の沿線案内を慌てて見た。
行き先が飯能というのが判っていたから、目でその沿線を追うと次の駅が新桜台となっている。どうも違う列車に乗ってきてしまったようだ。慌てて理事長に降りましょうと促した。
ホームで案内を確かめると小竹向原まで同じでも、ここから全く違う行き先になっていることが判った。念の為たまたま通りかかった駅員なのか運転手さんなのか、その方に確かめたら隣りのホームで待って和光行きに乗って下さいといわれた。
次ぎの列車が急行でその次の各駅に乗ったが、余裕を持って出掛けて来たので怪我をしないですんだ。危ない所だった。
処が今度は氷川台駅に着いて又判らなくなった。
ネットからその寺までの地図をプリントアウトして持参したのだが、方角が全くわからないのである。
電車が地上を走っていれば、それを起点として方向は見当つくのだが、地下に潜っているから基準として使えないのである。
駅前のケーキ屋さんに飛び込んだが、若いお嬢さん達ではお寺には興味が無いのでまったく駄目だった。たまたまそのお店に飛びこんで左右の通りに目配せした際、先の方に川が見えたので、それを起点にして方向をつかむことが出来た。
昔から店探しをする場合駅前を中心にして捜すのだが、何故か地下鉄の駅前で繁華街になっている所が少ない。
それが何故なのか氷川台駅に降りたって判ったような気がした。
その原因の一つが方角が判らないというのが1つにはあるのではと思えてた。人間と言うのは意識してなくても南向きとか北向きとかを体内に潜在的に意識し、その方向性を頼りに動いているのではと思えるのである。
線路と駅舎が地上にある場合は、その駅舎を中心に南方向・東方向とか、自然と気にせず回遊できるが、何の目標も無いと中心点が曖昧になって回遊することが出来ないのではと初めて降りた氷川台駅で感じた。
従兄弟の法要のお寺に行くまでの過程の中で意外に面白いことに巡り合った。至るところに落とし穴があり、又その事で色々興味が沸いてくる。至るところに楽しみありである。
凍てつくような寒さのなか、昨年暮に亡くなった従兄弟の四十九日の法要に出席した。
有楽町線の氷川台駅から7分のお寺で催された。
先輩である実行会の理事長と西日暮里駅で待ち合わせ、池袋から有楽町線で行くのだが、何しろ有楽町線に乗るのは始めてだったので、理事長とは少し余裕を持って行きましょう、と伝えておいた。
有楽町線の池袋駅で、がらがらの下りの飯能行きが来たのでこれ幸いと飛び乗った。氷川台は池袋駅から4つ目である。1つ手前の小竹向原駅に着いた時に車内放送で奇妙なことを言う。
どうもこの駅で2車線に別れるような言い方で、隣のホームには何々が参りますと言う。車内の沿線案内を慌てて見た。
行き先が飯能というのが判っていたから、目でその沿線を追うと次の駅が新桜台となっている。どうも違う列車に乗ってきてしまったようだ。慌てて理事長に降りましょうと促した。
ホームで案内を確かめると小竹向原まで同じでも、ここから全く違う行き先になっていることが判った。念の為たまたま通りかかった駅員なのか運転手さんなのか、その方に確かめたら隣りのホームで待って和光行きに乗って下さいといわれた。
次ぎの列車が急行でその次の各駅に乗ったが、余裕を持って出掛けて来たので怪我をしないですんだ。危ない所だった。
処が今度は氷川台駅に着いて又判らなくなった。
ネットからその寺までの地図をプリントアウトして持参したのだが、方角が全くわからないのである。
電車が地上を走っていれば、それを起点として方向は見当つくのだが、地下に潜っているから基準として使えないのである。
駅前のケーキ屋さんに飛び込んだが、若いお嬢さん達ではお寺には興味が無いのでまったく駄目だった。たまたまそのお店に飛びこんで左右の通りに目配せした際、先の方に川が見えたので、それを起点にして方向をつかむことが出来た。
昔から店探しをする場合駅前を中心にして捜すのだが、何故か地下鉄の駅前で繁華街になっている所が少ない。
それが何故なのか氷川台駅に降りたって判ったような気がした。
その原因の一つが方角が判らないというのが1つにはあるのではと思えてた。人間と言うのは意識してなくても南向きとか北向きとかを体内に潜在的に意識し、その方向性を頼りに動いているのではと思えるのである。
線路と駅舎が地上にある場合は、その駅舎を中心に南方向・東方向とか、自然と気にせず回遊できるが、何の目標も無いと中心点が曖昧になって回遊することが出来ないのではと初めて降りた氷川台駅で感じた。
従兄弟の法要のお寺に行くまでの過程の中で意外に面白いことに巡り合った。至るところに落とし穴があり、又その事で色々興味が沸いてくる。至るところに楽しみありである。