鎮魂 フィッシャーデイスカウ

5月21日
今日は朝から金環日食のニュースで朝から大騒ぎだった。
確かに朝何時もの如く障子戸を開けると日差しが差していた。しかし何処か何時もと違い薄暗かった。それからテレビをつけるとアナンサーが興奮して金環日食の話をしていた
予定では天気も下り坂で、今日日医大に行くには雨男と家族から言われていたのに、何故か晴れて来た。
お蔭で各地で世紀の金環日食を見る事ができた。
退院以来始めての診察で、久し振りにツツジの根津神社の境内に入った。当時は屋台がぎっしりと並んでいた。「兵どもの夢のあと」栄華を極めたつつじの花はすっかり散ってしまっていた。
以前の満開の面影はそこには垣間見る事が出来ない状態だった。
ツツジの山には庭師が二人つつじの剪定をしていた。手入れを早くしないと来年の花が保障できないことも有り、見ているとほとんど喋る事もなく、手を休めず集中していた。
それでも開花以前の静かな境内とは打って変わり、つつじの花を期待しての何組かの来院と陽気の所為で緑陰を求めて以前に比べて多数の人が境内に思い思いで休んでいた。

来月になるとまたまた手術の為に入院生活を送る為、少しでも愉しい?入院生活を送るべく色々調査を始めた。取敢えず手術の前に検査入院で一週間早めに入院になるが、この間は予定では全くやることがない。
その為手術前に近所の風呂屋を探し、仮退院を申請して近所の風呂に行こうと考えた。
そこで神社の山門でアロマ店の知人のM社長に隣にある風呂屋の事を聞いた。処が何と不幸にも昨年3:11でエントツが崩壊し、それが原因で廃業してしまった。あとは周りには銭湯はないと言うことだった。
次いで他からの情報で湯島に黒湯鉱泉が存在していることが判明し、それをMさんに尋ねたところ上野動物園の裏側だと言う。

取敢えず診察を終えた今日、その黒湯鉱泉を探しに出かけた。「六龍鉱泉」で,森鴎外ゆかりの旅館水月の直ぐ裏だった。全く目立たない通り抜けのできない路地裏にあった。
病院から徒歩で20分、散歩がてらころ良い距離であった。
今日は定休日で開業時の雰囲気も掴む事はできなかったが、つぎの来院の際には入浴道具を用意して、利用しようと計画している。
日影を探しながら京成上野駅まで歩いた。病院から丁度30分だった。少し汗ばむ程度だったが陽気が良い所為か以前と違い裏道でも人通りが途絶えない程度には散見できた。
殺伐とした入院生活も少しはゆとり?あるものになりそうである。

at 23:30, kateibiz, -

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病院 仮出所の楽しみを求めて

5月21日
今日は朝から金環日食のニュースで朝から大騒ぎだった。
確かに朝何時もの如く障子戸を開けると日差しが差していた。しかし何処か何時もと違い薄暗かった。それからテレビをつけるとアナンサーが興奮して金環日食の話をしていた
予定では天気も下り坂で、今日日医大に行くには雨男と家族から言われていたのに、何故か晴れて来た。
お蔭で各地で世紀の金環日食を見る事ができた。
退院以来始めての診察で、久し振りにツツジの根津神社の境内に入った。当時は屋台がぎっしりと並んでいた。「兵どもの夢のあと」栄華を極めたつつじの花はすっかり散ってしまっていた。
以前の満開の面影はそこには垣間見る事が出来ない状態だった。
ツツジの山には庭師が二人つつじの剪定をしていた。手入れを早くしないと来年の花が保障できないことも有り、見ているとほとんど喋る事もなく、手を休めず集中していた。
それでも開花以前の静かな境内とは打って変わり、つつじの花を期待しての何組かの来院と陽気の所為で緑陰を求めて以前に比べて多数の人が境内に思い思いで休んでいた。

来月になるとまたまた手術の為に入院生活を送る為、少しでも愉しい?入院生活を送るべく色々調査を始めた。取敢えず手術の前に検査入院で一週間早めに入院になるが、この間は予定では全くやることがない。
その為手術前に近所の風呂屋を探し、仮退院を申請して近所の風呂に行こうと考えた。
そこで神社の山門でアロマ店の知人のM社長に隣にある風呂屋の事を聞いた。処が何と不幸にも昨年3:11でエントツが崩壊し、それが原因で廃業してしまった。あとは周りには銭湯はないと言うことだった。
次いで他からの情報で湯島に黒湯鉱泉が存在していることが判明し、それをMさんに尋ねたところ上野動物園の裏側だと言う。

取敢えず診察を終えた今日、その黒湯鉱泉を探しに出かけた。「六龍鉱泉」で,森鴎外ゆかりの旅館水月の直ぐ裏だった。全く目立たない通り抜けのできない路地裏にあった。
病院から徒歩で20分、散歩がてらころ良い距離であった。
今日は定休日で開業時の雰囲気も掴む事はできなかったが、つぎの来院の際には入浴道具を用意して、利用しようと計画している。
日影を探しながら京成上野駅まで歩いた。病院から丁度30分だった。少し汗ばむ程度だったが陽気が良い所為か以前と違い裏道でも人通りが途絶えない程度には散見できた。
殺伐とした入院生活も少しはゆとり?あるものになりそうである。

at 22:58, kateibiz, -

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快復を朋と共に祝う

5月20日
退院してからここ数日友人達が顔を見せはじめている。
普段はあまり顔を見せないだけに病気様々ではある。
昨夜千葉の友人Sから何時もの9時前でなく、それより1時間も早く電話があった。早口で会いたいから明日行くからと言って切ろうとした。ちょっと待てよ、突然どうしたんだ、と尋ねると、兎に角会いたいから、というだけだった。
別段私の命が余命数ヶ月と言う訳でもないのだが、遠くにいても気を使ってくれていた。
人のことを構うなら、Sも私同様昨年6月初めに脳梗塞を患っていた。私はどちらかと言うと脳梗塞の後遺症も少なく、動く事にかけては何の障害もない。
S自身も自称90%の回復と豪語していたが、私には本当にそうなのか、と自身を省みつつしんぱいになった。幾ら回復していても千葉からくるとなれば何度か乗換えもあり、元気な人間でも結構大変である。
Sの体調を心配しても仕方がなく、逆に会えることの嬉しさだけが込み上げて来た。
夜中にトイレに立つ度に明日はSがくるなと自分に言い聞かせていた。
今朝約束の時間を少し越えた頃、意外にも一人で見えた。おい一人で大丈夫だったのかと尋ねると、大丈夫だよと笑顔で一言。今では一人で何処までもいけるからと屈託がない。
彼も私もそうだったが、当初は医師の指示で一人では歩かさないで下さいと言われていた。
既に奥さんの手を離れて一人立ちできたということなのだろうか。
暫らく事務所で入院の際、近況話しに花を咲かせ、そのあと、昼食を取りに出かけた。
京成で帰ることを考慮して町屋駅の方に歩いた。
二人で尾竹橋通りを歩くと言うのは昔は数知れずあったが、Sが千葉に越してからは本当に久し振りである。50年振りであった。
お互い良くここまで来れたナーと言うのが実感であった。
京成線町屋駅で千葉に戻る朋を見送り、久し振りに旧交を温め、会話した思いを自宅に戻る中で一人噛み締めていた。

   朋遠方より来る有り、亦楽しからずや。 
   人知らずして慍みず、亦君子ならずや。

at 21:30, kateibiz, -

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東京と被災エリアの違い

カティスタッフ井上です。
社長が復帰して本当に良かったです、一週間くらいと言ってたものが中々連絡がこず少し心配してました。
社長と不動産の動きについて話してましたが、東京はやはりあまり不動産の動きがはかばかしくないとのこと。
人の数より物件の数の方が多くなり、選り好みできる状態なので余程の物件でないとなかなか動いてくれないようです、そうでなければバックマージンを払って優先的に決めるようにすることが多いそうです。
物件が著しく少なくなった被災エリアはそんな贅沢は言ってられないので人が物件に押しかける状態ですが、なかなか思うように見つからないことが多いです。

各地で違いはあるものの、とはいえあまりの違いに東京と地方の違いを痛感する次第です。

at 23:05, kateibiz, -

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想定外の闘病記 その2 ワガママを通すの巻

5月18日
我が闘病生活その2
9日当日予定より遅れて呼び出しを受けた。
東館の2階まで自力で、渡り廊下を通りながら看護婦さんと出かけた。手術室に入ると、この日の担当医師のリーダーからほさかさんお話があります、と入口を塞いで前に立った。
この医師の話では今日の予定では狭窄部分を次回の手術対応にする為風船をする予定だったが、手術は予定した日から延びましたのでと言う。そのことで当初予定していた風船でなく思いきってステントを入れる方法を取りたいのですが、ご了承お願いしたいのですがと言う。少しきついかもしれませんと付け加えて来た。
こちらが要望していた筋書きとなって来た。
当然こちらとしては時間的な余裕があれば,風船でなくステントを当初から入れられれば2回やる事もなく1回で全て終了する。改めて手術の跡体調を見ながら秋に再入院してステント変更をしなくても済む。その際少しくらい苦しくとも我慢は出来るし、その為に泌尿器科に出かけて担当医にお話しただけの事はあった。
それでお願いします、とだけ答えて手術台に乗った。
部分麻酔の注射をした。補助の担当医が苦しいけど我慢してくださいという。少しくらいの苦しさは再度やり直す事を考えれば構いませんよ、とだけ答えた。
少し時間が掛ったが、是で秋にしなくなることを思えば気持的には楽チンだった。最初の時は腕からだったが今回は脚の付け根からやることになった。
時々心臓に圧迫があったが、前回と比べても苦しさはあまり気になることもなくすんなり終った。
終了した時点でストレッチベットに移動し、暫らくは絶対安静を申しつけられた。是が一番苦しかった。何しろ尿が近い為、安静が一番難しかった。
しかし前回何とか寝ながら尿瓶(しびん)を使った事もあり、気持的には余裕があった。検査終了時点でも尿瓶を使用して何とかすんなり出るようになっていた。
ストレッチにて部屋に戻るとベットに移動した。その際看護婦さんに足元に尿瓶を用意しておいてもらった。
跡は麻酔も効いていることもあり、そのまま眠ることにした。
次ぎに目を覚ましたのが9:30過ぎだった。既に絶対安静の時間は過ぎていたので、勝手に一人でトイレに出かけた。
是にてカテーテルの検査も終了した。あとは心電図と血液採血にてチェックしていくだけだった。
是で自?宅に戻れると簡単に考えていた。
処が担当医が見えて是から5日間様子を見る為こちらにいて下さい、となり思いもかけず更に自宅には戻れなくなった。
医師はもし何かあった時には大変なのでお願いします、と低姿勢で言う。こちらは大丈夫ですよ、その際は救急車で凱旋帰院します、と答えたが、医師は真顔で、それで間に合いますかねーと真面目に答えて来た。
途端にこちらも一瞬にして現実に引き戻されてしまった。
人生72歳自分では元気でと思いつつ矢張り経年消耗の度合いが強かったんだと思えて来た。医師の真顔でのそれで間に合いますかねーに素直に応じて
少しおとなしくしていないといけないのかもしれないと思い始めた。

at 23:56, kateibiz, -

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想定外の闘病記 その1 〜入院期間の延長宣告〜

5月16日
我が闘病生活その1
私のゴールデンウイークは一昨日で終了した。その間日医大に入院し、自由の身を封じられていた。
5/1にカテーテル検査による入院となり、2日にはカテーテル検査と案外順調に運んだ。翌日は検査の結果を考慮して1日待機していた。
処が医者も看護婦さんもよそよそしい。何かあるなと思いを巡らしていた。
午後になり担当医が見えた。その口から意外な言葉が発せられた。
暫らく入院して頂いて、様子を見て9日もう一度、カテーテルの検査をしてみたいと思うのですが、ときた。予期しない回答であった。
こちらでは明日退院しても良いですよ、と言う答しか必要としていなかっただけに、気持ちがぐらついた。
何故9日にするか、と言うと心臓の冠動脈に狭窄部分が3ヶ所見付かり、現在この部分を何とかしなければ最終目的の前立腺手術に対応出来ないというのである。しかも最後に私たちが同意しても、麻酔科の連中が拒否しますよ、と他人事みたいに拒絶反応である。

今回の検査は自分の想定通りの検査報告と違い
思いもかけない段取りで検査報告は逆逆に出てきた。まさか自分の心臓が壊れているとはおもいもかけないことだっただけに医者の検査をしましょうを受けて来た。
処がその検査が思いもかけない裏目に生じ、まさかのカテーテル検査にまでいたってしまった。挙句の果てそのカテーテル検査でも想定外の駄目出しがでて,帰れないとなってしまうとは、我が身に起きた不幸をどの様に思い巡らしたら良いのか、9日には再度カテーテルと言われても医者みたいに簡単に割りきれないものがあった。
こちらの気持も忖度せず、医者は次ぎの一手を淡々と話し始めた。

この狭窄部分打開策としては、まず1つ目は胸を切開して直す方法。次いで前立腺の手術の対応としては、カテーテルにて狭窄部分にステント又は風船を入れ込むと言うのである。その場合はステントにすると血管とは異物になり、そこに血液部分の異物が堆積して、梗塞状態が置き始めるため,その防止として血液サラサラ(ワーファリン)を飲むことで改修されるというのである。その為には次ぎの手術までの日数が少な過ぎると言うので、取敢えず手術用にステントでなく風船でやりたいと思うので如何ですか、と言う。
既にその為9日の手術台も押さえてあります、という。既に有無を言わせない体勢をしいていた。
こちらの同意も考慮せず何て勝手なとの思いもあったが,こちらも手術は速めて欲しいと要望していた。その手前取敢えず9日のカテーテルの検査には同意した。
その結果是からのスケジュールとしてはカテーテルにより風船を入れこむ。その後前立腺手術をする、秋に入り様子を見てから再度カテーテルの風船からステントに取替えをすると言うのであった。
そこで泌尿器科はどんな考えがあるのか聞いてみたくなり、急遽泌尿器科の外来を申し込んだ。担当医が会ってくれて出切る事なら前立腺のガンの転移の危険性を聞いてみた。
それは医者でも判らないという。
今回の状況をお話してステントにしてもらう為には手術を少しくらい伸ばせないのか尋ねた。
こちらとしては出来ることなら9日のカテーテル検査の際、風船でなくステントにしてもらえば秋の再検査は回避できるのではと言うのが素人の私の考え方だった。
心臓内科、泌尿器科、の先生を向こうに回しながらこちらの要望も少しばかり強調した。

at 22:48, kateibiz, ブログ&PC

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シャバはやっぱりいいもんだ

5月15日
春も過ぎて初夏を思わす、暖かで穏やかな日和である。
久方ぶりに我が家で休み、何時もと変わらぬ生活に戻った。何時もの癖で起きると同時に障子戸を開ける。と遠くに朝日を浴びた富士山が垣間見えた。
この時期は靄の影響で全く見えないのが普通であるが、今日は朝の内風も強かったこともあり、運良く未だ白い富士山を眺めることが出来、如何にも自宅の戻った感覚がした。
何しろ今月の初め、1日に入院し、4日で帰る予定だったのに,何と思いもかけず昨日まで入院の羽目になってしまった。
しかも昨日もそうだが、雨の所為で2ヶ月は季節が戻ると言う最悪な条件だった。家族からはお父さんは雨男だから入院する度に雨が降り、雪が降り、おまけに昨年は台風まで引っ張り込んで、と散々戯言を繰り返されていた。

今年は昨年の脳梗塞の後遺症で日医大に通う事が多くなった。道すがら季節の変化を楽しみにしていた。
新年早々はまず梅の花のほころびに始まり、白い木蓮の街路樹に目をやり、同時に桜の開花を向かえた。その桜の花が落下し始めたと思ったら、今度は白い花ミズキの街路樹が目に入り始めた。その時期も終り始めた時期に、ツツジが一斉に開花し始めた。
根津神社のつつじの開花時期から神社の中を通りながら観察し始めた。梅に始まり桜、花ミズキまで季節の折々に日本は豊な花に埋められる事を改めて感じ入ってしまった。

昨日雨の中迎えにきた家内と息子と帰心矢の如く自宅に戻った。
10日も風呂に入らずシャワーも浴びずでくさい事おびただしい。食事の前にシャワーをと思いつつ、すきっ腹にはいかんともし難く3人で近所に出かけた。
その帰り交叉点近くにある床屋に立寄った。
何しろ風呂にも10日入らずくさい事おびただしい、更に髭もそらなければならないが血液サラサラの薬を飲んでいる為ひげそりも容易ではない。
誰もいないお店で軽快なかみそりの軽快な音を聞いているだけで、今朝まで入院していたのかと、全く次元の違う世界にいるようだった。頭を洗う段階になってその気持ちよさに相俟って、心底ほっとできた。
改めて退院の我が自由の身を謳歌した。

at 23:00, kateibiz, -

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奥州一ノ宮 塩竈神社



カテイスタッフ井上です。

しばらく間が空いてしまいました。
先日来、天候がとても不安定になり、場所によっては竜巻まで発生する破天荒な天気。
そんな中、週末、家族で塩竈にある一ノ宮の最北端、塩竈神社にお参りしてきました。

急な坂をしばらく上っていくとようやく姿を見せてくる神社なのですが、鳥居までの庭園の素晴らしさは想像以上でした。
これまで見たことのないような種類のサクラが庭を賑わわせており、時期的に多くは葉桜でしたが、珍しい種類のいくつかの八重桜などは先日でもまだ満開でした。

さらに本宮のすぐそばには満開の桜が鎮座してました。
「天然記念物 塩竈桜」
と銘打たれ、こんな時期にまで満開の桜を、静かな神社の本宮手前で目にすることができ、よい休日を過ごせました。

帰りの道すがら、お昼を食べられるお店を探していると、にわかに空が搔き曇り、雷が鳴り響いたかと思うと、大粒の雨が降りつけてきました。あわてて近くのお店に入れたことで何とかずぶ濡れにはならずに済みましたが、昼間だというのに、外は夜のように真っ暗になり、車もライトを点灯している始末でした。

雨がなかなか降りやまないので、お昼を食べながら、仙台の銘酒 浦霞にきこしめしながら、のんびりした昼下がりを雨が上がるまでゆるりと過ごしました。

宮城のお酒は何を飲んでもおいしいので、ぜひお試しあれ!

at 23:47, kateibiz, ブログ&PC

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仮設入居者の未来像

カテイスタッフ井上です。

今日は太平洋側の地域同様、仙台も強烈な暴風雨に見舞われました。
用事があって出かけたのですが、あっという間に足元はびしょ濡れになり、持っていた傘もおちょこになる散々な始末です。

気になる記事を見かけたので、被災地の一端を知るうえでぜひ見てほしいです。
仙台で仮設住宅に暮らしている方々の多くが今後の生活をイメージできていないという結果です。


「住宅再建「未定」なお3割 仙台市・仮設入居者調査」(河北新報より)
ーーーーー引用はじめーーーーーーーーーーー
 仙台市は、東日本大震災で住まいを失い仮設住宅に入居する1万587世帯を対象に、現在の生活状況と、今後の住居や就労に関する意向を尋ねた調査結果をまとめた。賃貸住宅への入居を希望する被災者と、方針が決まっていない被災者が30%台で拮抗(きっこう)し、将来設計に悩む姿が浮き彫りとなった。
以下略
ーーーーー引用おわりーーーーーーーーーーー



at 23:28, kateibiz, ブログ&PC

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松島のサクラ





カテイスタッフ井上です。



GWのニュースで被災地の今、といったニュースが結構多く出てますね。

ぼくは4月から仙台に来ており、昨日近くの松島にいってきました。



東京はすでにサクラの季節も終わってますが、松島はちょうど満開になってました。



地元に方に伺ったら、多くの沿岸部は高い波が来て大変な被害がったけれど、松島については、沖合に無数の島々があったおかげで、沿岸部に来た波も1メートル程度、泥やゴミは多く流れてきたものの、津波で亡くなった方はいなかった、平安初期建立の国宝瑞巌寺もあり、町自体が守られてるんだよ、と言ってました。



船に乗って島巡りもさせてもらったのですが、日本三景の島々はいくつか島の崖が崩れていたり、仁王島という有名な孤島は改修工事中だったり、地震の被害はあったものの、町自体には大きな被害の後は見られませんでした。



仙台駅からの電車は、観光客ですし詰めになっており、平常の時の70%位までに戻ってきているとのことでした。



仙台から電車で30分くらいの場所で、風光明媚、なんとなく京都を思わせる雅な街並み、緑も多く、とても落ち着く町でした。



サクラの季節はそろそろ終わってしまいますが、風光明媚さは新緑にますます映えるものだと思いますので、

ぜひ一度足を運んでもらいたい場所です。

at 22:02, kateibiz, ブログ&PC

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